日本人の皇室への無自覚な心理的依存としての「眞子様事変」 【藤森かよこ】
皇室なき日本という共同体は日本人の心に成立するか?
■王室は消えても王室もどきはいつでもどこでも生まれる
最初にことわっておくが、私は王室や貴族に特別な関心はない。かといって王室や皇室や貴族は廃止されるべきだとも思っていない。どちらにしても私個人の人生には関係ないからだ。
さらに言うと、王室や皇室や貴族は廃止されるべきだと思っても無駄だからだ。廃止などいくらしても、王室もどき、貴族もどきは必ず生まれる。いつでもどこでも生まれる。「赤い貴族」と呼ばれるような特権的支配層が、階級を否定した旧ソ連や中華人民共和国に生まれたのが、その証拠だ。ちょっと前のアメリカ合衆国には、「トランプ王朝」なるものが出現していた。
王や王の家族を処刑したフランス革命や、ロシア皇帝一家を殺害したロシア革命などの行為は、一般の国民の発想ではない。彼らや彼女たちにとって、王や皇帝殺しなど何の個人的利益もないのだから。王や皇帝を殺害する人々は、王や皇帝になりたい人々だ。フランス革命にしろ、ロシア革命にしろ、その背後には、歴史の教科書が決して語ることのない「オトナの事情」があったに違いない。
■議会制民主主義発祥の地の英国でも消えなかった王室
ただし、フランス革命において、フランス人は王や王妃を斬首したのに、その後数回ほど王制に戻っている。奇妙なことである。王様とか女王様とか貴族とか、お姫様とか王子様とかには、何か人々の心を揺さぶる魅力があるようだ。
そういえば、1997年の夏の終わり頃に、英国の第1位王位継承権者であるウェールズ公チャールズ王子の元妃のダイアナさんが事故死(?)したときの英国民のヒステリックとも見える嘆き悲しみ具合に私は非常に驚いた。
英国人もいろいろだし、メディアが伝えるから事実とは限らないにしても、多くの英国人がダイアナ元妃の死に深く衝撃を受けたことは事実だったらしい。テレビに映し出される英国民は、ダイアナ元妃の英国での住居の宮殿の前に花を手向け大泣きしていた。私にとっては不思議な光景だった。多くの人々が、その死を嘆き悲しむほどのことを、ダイアナ元妃はしたのだろうか?
ダイアナ元妃の悲劇に非常に感情移入して大騒ぎをしている英国は、私が歴史の教科書で学んだ英国のイメージとは大いにかけ離れていた。
周知のように、英国は「立憲君主制」と「議会制民主主義」の発祥の地である。王権神授説に基づく絶対王政をひっくりかえした国だ。議会は、清教徒のオリバー・クロムウエル(1599-1658)を中心に、専制をふるう国王を処刑し共和制を樹立した。これは「清教徒革命」と呼ばれる。しかし、クロムウエル死後には王政復古が為された。しかし、新国王を議会は追放した。その娘と娘の夫に王位を継承させた。議会は「権利章典」を発布し、「名誉革命」を遂行した。名誉革命と呼ぶのは「無血」革命だったからだ。ほんとは、そうでもなかったけれども。